





さて、今回のPuntoでの展示は、これまでの色がついた作品からまたひとつ立ち位置が変わりました。光と影をどうとらえるかがテーマになっています。人が見る位置で変わることがテーマだった後楽園の画像をもう一度出しますが、写真ではよくわかりませんが、実際には真っ白い陶板が浮き上がっているように見えます。

このように写真で見た世界は光と影だけで処理(陰影に奥行きがない)されてます。しかし現実は違います。もともと日本人には日本人らしい陰影というものがわかる感性があったと思います。影の中の明るいところと暗いところ、例えばまちやの中の微妙な明るさの変化をかぎ分ける感性を日本人はもっていたはずです。しかし、今、私たちは非常に明るい中での生活、蛍光灯の下の明るい光の中の生活に変わってしまっています。そこで、私は、自分の作品の中でもう一度、光と陰影というものを取り込めないかと思って、白い作品に帰って来ました。


細かい波線をいれることで非常にデリケートな光と陰影のグラデーションが出ることがわかります。このように明るい光の中での微妙な変化を皆さんにわかってもらえないかと思っています。


薄暗い生活に戻ることは非常に難しいですから、今の日本の生活にあった作品の見せ方、現在の日本人が生活している環境の中で作品を考えてみたいと思いました。
これはガラスの透明な釉薬をかけた作品です。






色の陰影だけのモノトーンの作品なので、ぎらぎらしたような訴えるものはありませんが、時間が過ぎていく中で、いろんな光を作品があたえてくれるような効果をねらっています。
そこに作品のミニチュアを机の上に置いてあります。

実は頭の中には今アニメーションで見せているような作品世界があります。

しかし、これを現実に実現するのはなかなか難しいことです。大学の中で自分が目指している方向をどうやって伝えるか、というジレンマがありました。それを作品と言葉で伝えたかったが、伝わらない。ならばその素材(やきもの)を使ったモデルとコンピュータ・グラフィックスを使ってプレゼンテーションして、展示することが考えられないかと思いました。


木の影が落ちるような壁の作品です。リアルに作品が存在した時のイメージが伝えられないかと思って昨日つくった(ギャラリーで制作)作品です。


こういうふうに頭の中でいろいろ考えているわけですが、実際にどう作品を現実のものとして実現できるか、という糸口がみつからないので、今回の展覧会を通じて建築家の方とお話できるとか、その場ですぐにできなくても、いろんな形で今後発信していかなくてはいけないと思っています。実物の作品もきちんと見てもらって、時間をとってもらわないとアニメーションで表現するものだけではわからないとは思いますが、こういう展示の方法を今後も模索していきたいと思っています。
現実に、建売の家に作品を入れるだとか、一般の建築家と何かをやろうとしても今回の作品のような材質感、クオリティーを持ち込むのは難しいと思っています。自分が提示をしようとしたときに、提案できる場がなかなかありません。焼き物やタイルについては、どこかのメーカーのカタログからチョイスしているというのが現実だと思います。作品というものまではなかなか見てもらえません。
昔、フランク・ロイド・ライトの建築を見た時に、ライトが生活の家具調度品まで設計し、すべて材料まで吟味してつくっていたのに驚いたことがあります。実際、常滑のイナックスでライトが設計した帝国ホテルの柱が展示されているのを見る機会を得ることがありましたが、それは、まるで工芸品です。土まで自分で現地に足を運び、選んでいますから。陶芸家でもそこまではなかなかしていません。一般論ですが、現在の建築家はライト等に比べて、素材に対して狭い部分のことしか見えていないように感じます。以前、私の作品をある建築家に見せた時に「デザイナーの仕事ですね」と言われたことがありますが、デザイナーがここまでの仕事をやっているかといわれると、私にはしている様に見えません(これも一般論として)。
ペニンシュラの仕事も作家はチョイスされる側でした。私の作品も写真の資料だけで選ばれました。そのくらいだから、実際に建築家と作品をコラボレーションするまでには長い道のりがあります。しかし、だからこそ建築と関わる様な所とつながっていかないと自分のやりたいことが実現できないと感じています。私が思い描く様な作品を実現するには、まだまだこれから私自身のアプローチを変えていかないといけないと思っています。
私が目指すのは、人がいて、人の気配があって、作品が人の気配を増幅してくれて、・・・そういう思いでいつも制作しています。