9才でギャラリーデビューしたKAIさん。

明日までとなった「LUV」は、16年ぶり2度目となる展覧会。

KAIさんのことは、季刊誌「Punto Press」の3号に書いたが、

私が初めてPuntoに足を踏み入れた時に開催されていた二人展「すき」の作者が

当時小学四年生だった絵を習っていた未来ちゃんと独学で描いていたKAIくんであった。

その時、KAIくんの紙に描かれたすごい量の侍や歌舞伎の人物たちに、衝撃を受けたのを今でも覚えている。

『SERIOUS JAPANESE』

KAIさんの言葉を使わせてもらうと、半分ギャグで半分シリアス。

一目見て、これは自画像だろうなぁと思わせるだけあって、鏡で自分の顔を黙って凝視しながら描いた作品だ。

「作品のひとつひとつにメッセージは込めてない」と言うが、

「言葉にならない言いたいことが渦巻いていて、怒りや不安も爆発してるから描いている」とも言っている。

9才の時に観た印象と違っているのは、間違いなく人生の経験を積んできた年月だと思う。

私の中に残るのは、インパクトの中に漂う空虚感のようなもの。

空虚というとマイナスイメージに捉えられそうだけれど、良くも悪くも本来の意味を超えて。

例えば花札はどうだろう。

表の煌びやかさと裏を返せば黒いシールのような、そんな絵という印に愛着を持つ感覚。

ちなみに花札の絵柄は、古き良き昭和の匂いが呼び起されるのも、それが菖蒲や牡丹というのも良い。

菖蒲や牡丹が、侍や歌舞伎であっても良い、なんてことを考えたりもする。

そして、当時と決定的に違うのは抽象作品に取り組むようになったことだろう。

これらは、どちらも肉体がテーマ。

右の作品は、限界近くまで身体を動かした時に感じる筋肉や臓器の感覚、左の作品は傷口のイメージ。

皮膚の下に隠し持っている内面が露呈したようなイメージ。

ここでは細部まで分からないが、実は細かい線で構成されている。

どちらも実験的に描いた作品で、作家本人の模索する様をそのまま吐き出したような表現になっている。

 

更に今回、KAIさんにお願いをして、少し前の旧作とドローイングも用意してもらった。

『JAPANESE Lady in Gold』

これがそのひとつであるが、今の作品とは趣が違っているのが分かると思う。

KAIさんは子供の頃 、Puntoで開催した日本画家アランウエストの展覧会にもよく足を運んでいただけあって

背景は、まるで日本画の金箔を貼り付けているかのように作り込まれている。

これは『女殺油地獄』という歌舞伎のワンシーン。

これらは、浮世絵や日本画の好きな要素をミックスした作品群。

 

俺が描いてるのは70~80年代の時代劇とか歌舞伎から引っ張ってきたもの。

華やかなフィクションの サムライ、武士道じゃなくてサムライ、大河じゃなくて痛快娯楽時代劇。

例えば、フィクションが煌びやかになればなるほどダークさを孕んでハードな現実から目を背けられなくなるような感覚とか。

とにかく何か出さないと居た堪れないという想いから描きました。 KAI

最近は肉体感を表現したいという思いから、方向性の違った作品も増えてきているという。

これは、サムライと同じように常に彼の日常にあったストリートや、コンテンポラリーダンスの存在が大きい。

今でも、絵の具が乾く間やどうしても絵を描く気が出ない時は部屋で一人で踊っているというのだから、ちょっと覗いてみたい。

KAIさんは幼少の頃から言わば自己流で思うままに絵を描き続けている。

大多数の絵描きが歩むルートとは違った道を進んでいる。

本人が選んだという意識よりも、自ずと目の前にあった感覚に近いのかもしれない。

若干25才という若さ、大いに遠回りで良いのではないだろうか。

その根底には描くことが好き、好き過ぎる揺るがない確信が常に横たわっていることが、何よりの強みだ。

これからも、KAIさんの進化を追いながらPuntoも変化していきたいと思う。

 

 

夕方になって前触れなくやって来たのは、未来ちゃんのお母さん(めちゃくちゃ若い)。

手には未来ちゃんのスケッチブックを持参しておられた。

16年前に観た未来ちゃんの絵のままの鮮度で、当時と同じモチーフが描かれていた。

すごく嬉しかった。

 

 

galeria-punto