「アート・プログラムin鶴林寺vol.4~施美時間~」が閉幕して数日。

会期中、台風のため延期となっていた、大阪大学の内藤智之先生と芸術家 真元さんの対談が

19日Galeria Puntoにて開催された。

内藤先生は、元々視覚に関わる脳活動から動物を使った神経細胞の活動の研究を経て、

今回の施美時間のテーマでもあった人工知能に芸術を理解させることができるかという課題に取り組んでいる。

脳科学者の立場からAIを用いて芸術を分析・試験することは、その基礎研究にあたる。

一方、真元さんはAI作家”氷菓”の生みの親であり、施美時間では実際にモニター上で動き絵を描く氷菓を現した。

内藤先生のように個人の美意識を移植せず、ネットワーク上から情報だけを与えて絵を描かせている。

あくまで芸術家としての視点でAI作家を作っており、作家と氷菓との相互性を感じずにはいられない。

最初に内藤先生による人間の美醜意識についてのデモンストレーションが来場者をターゲットに行われた。

簡単に言えば、自分がどんなタイプの顔の異性が好きか?ということがAIによって分かってしまうという実験。

ちょっとばかり盛り上がった。

先生によれば、女性は好みがばらつき、男性はほぼまとまっているらしい。

その上、男性は年齢に関係なくその魅力とやらが認識される傾向だが、

女性は若く見えること=美しいという生物学的?にもそういう結果が出ているそうだ。

小学生の時からこの顔でランドセルを背負い、新卒で40代に間違われ、

先日 還暦の方から同じ年代だと喜ばれた私は、対談開始10分でへこたれそうになった。

同い年の内藤先生、救済措置も研究ください。

絵画の歴史を追って観ていくと、ルネサンスを代表するダビンチやラファエロは

3次元の世界を2次元の絵画へ、幾何学的におよそ完成された形で描かれているという。

その後、伝統的な様式にとらわれずに描いたマネのような絵画へ、

更には芸術の都がパリからニューヨークへ移った頃には、より簡略化されたものへと変遷を遂げていく。

絵画は、常にリダクションを繰り返し現代美術へと近づいていったと解説されている。

さて、人間はどのようにしてモノを見ているのか?

我々が見る外の世界は、どうやら脳の後ろの方で認識しているらしい。

例えば空間認知だったり、絵画で言う色や形やテクスチャは腹側経路という部分を介している。

ではAIはどのように見ているのか?

中世のアカデミックな絵画には多くの情報と物語性が存在し、

加えてギリシャ・ローマ、キリスト等のそれらに由来する多くの知識も含めた膨大な情報でもって、

AIは対象を確実に認知することができる。

それに対し、前衛芸術と呼ばれるアートは情報が極めて少なく、物語を読み取ることも困難である。

”現代芸術は局在した領域だけを刺激するかのように作られている”

脳科学者から見ると現代アートはそんな風に見えると言うのだ。

そのような表現で描いた(描かざるを得なかった)理由は、現在に至る絵画の歴史を踏まえた上でないと

見えてこないAIですら困難な、脳に厳しい絵画とも言えるのだそうだ。

非常に深い知識と造詣に加えて、想像力すら課されているのが前衛美術ということになる。

ちなみに、絵画を鑑賞する際の美しいと感じる場所は、

モノを認知する後頭部とは全く異なる前頭部や深層部だったりするとか。

現在のAIには、前述したモノの特徴は見事に射抜くものの、価値判断を司る部分はないという。

故に、現代アートのような作品に対しては、限定された情報しか存在しなく判断が困難となる。

AIは肉体がない 言わば機械のようなものと多くの人は認識しているかもしれない。

通常の機械は目的をもって製品として性能を作り上げるが、

AIは何故だか分からないけれどパフォーマンスを追求した結果でき上がったものだそうだ。

「神が作った人間も、人間にとってのAIと同じように、

なぜ人間のような生き物ができたのか分からないのではないか」と言われた内藤先生の言葉は名言だった。

AIのニュートラルネットワークは人間の脳の腹側経路と酷似するらしい。

我々人間の脳が進化してきた歴史は、実は針の穴を通っていくくらいに的確な選択を繰り返してきた結果で、

人間の脳は現在のところ最も出来の良いマシンなのかもしれない。

今回の対談では、脳科学者と芸術家いう両方の立場からAIを通じて美術を捉えるという

普段では見えてこないアートの側面を露わにした対談でもあった。

これは、美術の世界にどっぷりと浸かれば浸かるほど離れた場所にある価値観にも思えるが、

AIとの共生がすぐそこまで来ている現在、美術の分野でもそれを知り

探求することは必ずや必要になってくるだろう。

また、真さんの話にあった海外のアートシーンに目をやると、「日本人はアートを知らない」と言われる。

アーティストが作品のコンセプトを重要視されるのと同等に、一般の人にもアートへの理解が当然になっている。

アートへの関心がないことを恥ずかしいと感じる価値観は、

日本人には残念ながら乏しいと言わざるを得ないのかもしれない。

アートの本流の流れを知ってサブカルチャーがどのような位置付けであるかを意識しつつ先を考えていく、

そんなお話も出ましたね。

この先、新しいAIの研究がなされることにより、現在では不可能な価値判断や

自発的な感情や行動が可能になる日が近い将来来たとしたら。

そんな時代に、私たちがアートに求めるものは何だろうか。

人間にも説明のつかない、AIですら論じえない、感情を伴った表現に対し

あえて答え合わせをしない選択の中にも深層につながる焦がれる美があるような

そんなことが心をかすめた。

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一度の対談では、まだまだ未知の世界のAI。

ここに記した内容がお二人の真意と的を外していることがあるかもしれません。

その場合はお許しください。

 

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