入江清美の「マチエール論考」。

入江さんは、単に作品だけを「ほら、どう?」と見せるのではなく、

普段私たちが住んでいる自宅や共有する空間の中で、

作品がどう影響するかを常に考えているように見える。

作品は特別な場所で眺めるだけものではなくて、

所有して自分を豊かに変化させるものだからこその発想がそこにはある。

アートのある家とない家。

そこには、どんな違いがあるのでしょうか。

絵を描くという原動力はと問われたとき、「?」マークが私の頭の上に浮かんでいるだろう。

材料を混ぜて捏ねて塗る作業を物心ついた時から繰り返している。たった一枚の私だけの色とマチエール、の為に。

マチエールは食う寝る排泄するといった原始的な欲求と最早同義なのかもしれない。

こころに宿る艶めかしくも強かな美醜を表現するために、今日も初体験さながら真っ白な画面と向き合い対話する。   入江清美

入江清美の作品の1ピースを手に取るといつも、「ほんの一部に過ぎない」と感じる。

絵画の創作は、画面と向き合った時に始まり、一定の世界を画面に描出した時に終わる。漠然と持っていたそんなイメージに、彼女の制作は当てはまらない。

絵画は空間芸術で、音楽は時間芸術だという定義があるけれど、彼女の作品は、絵画でありながら時間芸術ともいえそうなのだ。1ピースずつ完成するより、彼女の表現は音楽のようにずっと続いていて、たまたまそこに紙と筆があれば、腕の先から物理的な形になって抽出される。だから、彼女が書き溜めた夥しいドローイングの紙片に埋もれてみて初めて、何となくその全体像がつかめるのだろうと想像する。(それを体験しているのは、彼女の愛猫だけだ)

画廊という空間の制約の中で、そんな入江清美の時間制をどのように展示できるのか、悩み続けている。

art gallery closet 代表   新井佐絵 (東京 西麻布)

入江清美の「マチエール論考」は、7月15日(日)まで。

最終日は~16:00までとなります。

galeria-punto