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美術と家族

堀井一仁の「美術と家族 vol.88」 2日目。

初日「未完のダイレクトメール」は→こちら

この未完のDMに記した平成30年9月号は、vol.88と形を変え完成しました。

これは、今年米寿を迎える作家自身の歴史を表し、

88章目の人生の始まりをも意味しています。

そんな思いを個展に重ね、最後に堀井さんが足した88。

これが、タイトルに込められた一部という訳です。

後に伺った話では、額装は全て作家夫人が担当され、

長年にわたり一枚一枚 作品に合わせて注文されたとの事。

決して最後の設えまで惜しまない、意識はせずとも

作品に対する、また画家としての夫への最大の敬意ではないでしょうか。

そして、それこそが夫人の楽しみの源であったのならば、

こんな素晴らしいことはないと思います。

また、写真で抱かれている赤ちゃんは、幼い頃 祖父の姿を見て画家になりたいと志望。

幼少期の思いが、その後の彼の人生にどんな影響を与えたかは分かりませんが、

長い人生において、無ではない何かの意味があるのだろうと。

余談ですが、若かりし頃 絵を描きながら庭師にも憧れていた私は 志望するも断られた過去があり、

先日 思いもよらぬ庭師のお客様が来られ、何だかすごーくリスペクトしました。

10代の私の感覚は間違ってはいなかった!と少々天狗になった次第です。

庭師になっていれば今頃・・・なんて考えるのは悲しくなるので止めましょう。

あ、完全に脱線しました。

高校教師のように。

脱線が止まらない先生は普段よりキラキラしてたっけ。

もとい。

そんな風に、作家は自身が好きな絵を描くことで、周りに 作品を通して影響を与え、

また作家自身も、家族から絵を描くエネルギーや歓びを受け取っていたように思えてなりません。

これは説明がつかないのですが、作品には色や形だけでない

描かれている対象物やイメージとも違った

個人の感情や背景といった何かしら目に見えないものも現れています。

それは意図しなくとも、むしろ隠そうとしても出てしまうもの。

コワいですねぇ、いえいえ、だから絵って面白い。

そういう意味では、「美術と家族」というタイトルを気に入っていただけたのは、

ん!?まんざら私の目は節穴ではなかったのではないか?

などと  ひとり自負するのでありました。

人生には勘違いも必要な時があります。

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